益子焼の歴史
伝統的工芸品「益子焼」
伝統的工芸品産業の振興に関する法律により昭和54年8月3日に「益子焼」は、伝統的工芸品の指定を受けました。
伝統的工芸品産業の振興に関する法律が昭和49年5月に施行されて以来、経済産業大臣により指定された伝統的工芸品は236品目(2021年1月現在)にのぼっています。これまで長い我が国の歴史の中で幾多の変遷を経て、生活に溶け込み育まれてきた「伝統的工芸品」は、現在に至るまで広く愛用されています。
伝統マークについて
伝統マークは、経済産業大臣指定伝統的工芸品のシンボルマークです。 経済産業大臣が指定した技術・技法・原材料で制作され、産地検査に合格した製品には、伝統マークのデザインを使った「伝統証紙」が貼られています。この伝統証紙が貼られている製品は、検査を実施したものであり、品質について誇りと責任をもってお届けする製品です。技術・技法 |
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原材料 | はい土に使用する陶土は、新福寺粘土、北郷谷粘土、木節粘土またはこれらと同等の材質を有するものとすること。 |
地域 | 栃木県芳賀郡益子町、茂木町、市貝町及び真岡市 |
益子焼の歴史
益子で焼物が製造されたのは、古く奈良時代にまでさかのぼります。そして嘉永6年(1853年)当時26歳だった大塚啓三郎が根古屋(益子町内の地名)に窯を築き、陶業を開始したのが今日の益子焼の始まりとされています。
当初は、半農半陶で昭和のはじめまで主として、かめ・すり鉢等台所用品を製造していましたが、昭和初期に濱田庄司が、益子に定住開窯し、益子従来の原材料・技法を用い食器・花器等を製作し、その影響のもとに、若い陶芸家が次々と加わって、現在の益子焼が生まれました。
さらに昭和54年8月には、国の伝統工芸品に指定され、又春・秋の陶器市を始めとして、年間多くの人々が訪れる、日本を代表する焼物の産地として定着しました。